コロナ対策に感じる不安はどこからくるのか【政治的意図はないよ】
とてもご無沙汰しています。Aguasです。
あまりにもブログが見にくいのが嫌になり、いろいろとお勉強していたら時間が経ってしまいました。
色々と技を身につけたので、またちょこちょこ書きます。
今日は、コロナウィルスに対する対策について思っていることを整理しました。
おことわり
こういう話題は政治的な側面を勘繰られたり、政権批判だと言われがちですが、そういった意図はありません。
一方で、主に政府から発せられる内容を鵜呑みにし続ける姿勢が正しいのかというとそれは違うと私は考えています。これは政治だけでなく仕事や学校でも同じ話ですが、「自分ならこう考える」、という意見を常に持ち続けることがとても大切だと思っているので、ここでは一方的に私の思っていることをまとめているに過ぎない、ということをご承知おきください。
コロナ対策に対する漠然とした不安
昨日、緊急事態宣言が発令され、それに基づいた様々な対策が打たれようとしています。
政府から伝えられる情報は様々ですが、どれもチグハグであったり、何か足りないのではないか、といった思いが払拭できずにモヤモヤと不安な気持ちで過ごしている今日この頃です。皆さんはいかがでしょうか。
なぜこのような気持ちになるのか、整理してみました。
目的は何か
当たり前の問いです。皆さんは何が目的でコロナ対策をしていると考えますか?
「コロナに感染しない」「病気にならない」「人にうつさない」といったところでしょうか。
私もそう思っていました。
しかし、思考を重ねると、その考えは少しだけ浅くて、もうちょっと深堀りしなければ、心の不安が解消できないと感じました。
そして、あれやこれやと考え続けて、行きついた目的は「生活をする」でした。
目的別の整理①「病気にならない」
何を言っているんだ?と思いますよね。今から説明します。
ここで、ロジカル・シンキング(論理的思考法)を使って整理していきます。
ロジカル・シンキングは、お題目を最上位において、その下に要素をぶら下げていく方法です。やってみます。
では、目的を「病気にならない」にしてみましょう。
そうすると、このような整理ができます。
それっぽいですね。
まず「免疫」。
「ワクチン」はジョンソン&ジョンソンが来年出すワクチンが最速なのでそれに期待するしかありません。また、「感染後回復」はさすがに乱暴ですね。
なので、現状は「対処」しかできないという考えに至ります。
ここで、よく考えてほしい。
例えば学校。ずっと休むことになった場合、その間の学習や受験はどうしたらよいのでしょうか?
例えば仕事。休業が続くと倒産します。どうやって家族を食わせていけばよいのでしょうか?
この不安が解消できないと、何が起きると思いますか?
学校関係者は授業を再開してしまうでしょうし、仕事は休めませんよね?
そうすると、目的の「病気にならない」は達成できません。
これが我々が抱くモヤモヤの正体だと考えてます。
そんな不安に負ける人が悪い?
脱落するやつが悪い?
人様への迷惑を考えろ?
ここで思考を放棄してはいけません。
この場合に疑うべきは、目的と置いた「病気にならない」は設定として正しかったのか、という点です。
目的別の整理②「生活をする」
私が今の時点で行きついているところです。
同じように整理します。
こうすると視点が一段高くなり、「病気にならない」だけでなく、「生活水準の維持」つまり日常を続けるという手段を入れることができるようになります。
問題は、「休校⇔教育」「休業⇔収入」がトレードオフの関係であることです。
そこでこうします。
教育と収入のそれぞれに手段を増やしました。これでトレードオフは解消されます。
正直、WEB授業はなかなか現状は機能せず、課題山積だと理解していますが、ここでは説明として置かせてください。
収入については給付することで休みやすくなりますね。特に中小の経営者にとって良いと思います。経営者の多くは、社員に食わせなければいけないという思いで休業できずに頭を抱えているはずです。これで少しは安心できるのではないでしょうか。
給付の対象はいつの時点の低所得者?
給付するって言ってるだろ!
そう言われそうですが待ってください。
政府は、ある時点で(恐らく5月において)著しい損害によって低所得者となった人に対して給付すると言っています。
ですが、現在の収入で語っても仕方がありません。
なぜならば、コロナがいつまで続くか分からないので、未来の収入まで鑑みた対策にしなければいけないからです。
そして、その未来に誰が失業しているかという予測を立てるのは不可能に近いです。
つまり、国民全員にひとまず一律に配っておいて、コロナが終息した翌年の確定申告などで、給付が必要でなかった人から返してもらう、が妥当ではないでしょうか?
この不安が解消されないと、休業しないお店は一定数出てしまいますし、計画できずに無理をして倒産してしまい、つらい思いをする人で溢れてしまう気がしてなりません。
政府には高い視点で語ってほしい
政府の発信を鵜呑みにしない、というのは以上のような考えです。もちろんもっと視点があるはずですが、この場では書ききれないので割愛します。
政府から発せられる情報が、なんともしっくりこないのは、「休むに休めないんだよ!」という声に応えられてないからだと思います。
これは、批判ではなくて切実な訴えではないでしょうか。
基本的に人と接触しないことに私は賛成なので、それが安心してできる環境づくりを両輪で語れるような高い視点でリーダーシップを発揮してほしいです。
ちなみに、立憲民主党は色々とネットではこき下ろされていますが、この点についてはまともな事も言っていますし、自民党の一部の会派も似たような事を言っていますので、彼らには頑張ってほしいと思っています。
最後に
めちゃくちゃ堅苦しい話ですが、日本国憲法は、国民が国を縛るもので、これは我々の権利です。法律はその逆で国が国民を縛ります。
その憲法25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあります。
健康はまあ良いと思います。でも、文化的な最低限の生活が崩壊しそうですね。なので、国民はもっと政権にガンガン言って良いはずです。
若い人は特に良い子すぎて、誰かに飼い慣らされてしまっているようで不安です。
人の行動に意見することをみっともないという風潮があるように感じますが、そのまま進んでいくと、意思のない者は社会に出て淘汰されます。
やみくもに政権のやること成すことを批判するのは違いますが、言うときは言う、これはどんな場面でも必要です。
私を含めて、自分の意見を語れるようになっていきたいですね。
ではでは。